ごきげんすいっち

「ごきげんすいっち」で心穏やかな生活を。自分をいたわる優しい暮らし。

あと何回、一緒に食事を囲めるのかな。

こんにちは、AKIです。

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今朝は三男が育てているミニトマトが収穫できました。季節外れなミニトマトさんですね、不揃いなところがまた可愛いです。


なつかしい味に触れる

連休の中日にあたる昨日、私の実家へ家族5人で帰省しました。昼は私の祖父母と、夜は私の両親と食事を囲み、実家にいた頃は当たり前のように食べていた母や祖母の料理は、帰省するたび「なつかしい」優しい味がします。


食事カウントダウン

夫の理解があって、ひと月〜ふた月に1度は帰省していますが、ふと「あと何回、祖父母や両親と食事を囲めるだろう」と思うことがあります。


ふた月に1度だとすると、年間6回…
「当たり前のように毎日顔を合わせていた人達と年6回しか食事できないんだ!」と思うと、1回1回の食事をとても大切にするようになりました。


一つの食事を終えるごとに、一緒に食事を囲める回数は必然的に減ってしまうのです。


何事も永遠ではない。

子育て経験のある方ですと、毎日毎日寝かしつけに苦労していた頃は「これがいつまで続くのか…」と永遠のように思えた時もあったと思います。


恋愛経験のある方ですと、失恋をして失意のどん底にいる時は「もう立ち直れない」と暗闇が永遠に続くように思えた時もあったと思います。


しかし、必ず終わりはやってきます。


食事も同じ。
いつも一緒に食事を囲む人間と、遅かれ早かれ必ず一緒に食事を囲めない日がやってきます。


ネガティブなことをお伝えしたいわけでは決してありません。終わりが来るからこそ、私は食事を作る時もいただく時も、最大限に相手を思いやる心を大切にしたいと思っています。


食事はエサじゃない。

食欲に任せて、ジャンクフードを貪るのも食事1回分。不機嫌なまま味もよく分からず食べ終わるのも食事1回分。


ジャンクフードがダメなのではありません。食欲や感情に任せた惰性の食事は「エサ」のようだと言いたいのです。家畜と同じです。人間は家畜ではありませんよね。


人間は食欲や感情をコントロールすることができます。選択の自由もあります。どうせ食事をするのら、楽しく、美味しいものを、大切な人達とシェアしたい。そう思うのです。


高級なレストランに行くとか、立派な料理を作るとか、そんなことではありません。その食卓に思いやりがあれば、白米と味噌汁でも十分しあわせです。


受継ぎたいこと、そして伝えたいこと。

祖母や母と食事をする数が減っていくということは、祖母や母から料理を教えてもらえる回数も減るということ。私の好物の作り方を母に教えてもらったり、漬物の漬け方を祖母に教えてもらったり…私は帰省するたび、なるべく台所に一緒に立つようにしています。(祖母や母にとっては、料理が捗らないので邪魔かもしれませんが・苦笑)


そして3人の息子たちには、温かい食事を家族みんなで囲めることの幸せや、食事に少しでも意識を向けてもらえるように、盛り付けを工夫したり、「今日のお野菜はおじいちゃんが作ったものだよ」と食材の出どころを説明したり、「これ、おいしいね!」と言われれば作り方を簡単に教えたり…目の前にある食事について、よく会話するようにしています。


いつもの食事をもっと丁寧に、もっとごきげんにしてみませんか。


▽【過去記事】甘いものとの向き合い方



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